第3回5月総評および6月お題募集です
短歌の目管理人の卯野です。
行楽黄金週間のさなかご参加ありがとうございました。
ただいま参加者さんの歌にすべて目を通し終えまして感じたこと、今月のまくらことば「茜さす」についての解説をちょこっと。
後半には6月のお題募集のお知らせです。
総評
・「情景を切りとる」と「説明」のちがい
実質まだ4回なんですが、0回めから参加いただいて明らかにレベルアップしている方がいらっしゃいます。最初は単なる「場面の説明」だったのが(それでも57577の韻にあてはめる練習になるのでOKなのですが)、今回に至ってはしっかりと「情景のきりとり」として成立している方がいらっしゃいました。これは短歌をおすすめしたい私としては見ていて嬉しいです。
・「客体」に徹することで出てくる「私」
詠み手の自分の感情をおさえておさえて情景を詠む、というのが近代以前の短歌のメインでした。ただし詠んでいるのは人間の「我」です。何をどう切り取るか、どの単語を使うか。情景を詠んでその人の感情を表す語句は入っていなくても、その取捨選択に詠む人の「我」を感じ取るのが短歌俳句です。
このバランスが難しくて、自分の心の動かないものを単に31音に並べてもただの説明になってしまうし、かといって感情を書き込みすぎても陳腐になってしまいます。
短歌は自分の心が動いた情景、美しい、せつない、さみしい、愛おしい、おそろしいと思った一瞬を、そのことばを使わずに31文字でスケッチする練習、自分を俯瞰してみつめる練習、と思って取り組んでみてください。
あなたのなかに世界を表す語彙が増え、それは今までよりもきっとあなたの世界を豊かにするはずです。
・31文字ですべて的確でベストな歌を
ここに先日読んだ歌人集団「かばんの会」の新人特集号の一節を引用、ご紹介いたします。
とても納得しました。
一読して分かる歌でなければならない。内容を世界を伝達する表現はすべて適格でベストなものであらねばならぬ。一首の表現に字余りとか、緩んだ箇所があったなら、とことん推敲して、的確な、ベストの表現を得なければならぬ。テニヲハの一箇所でも狂いがあってはならぬ。短歌とはそのような詩形であると私は信じている。
ー「かばんの会」新人特集号 奥村晃作氏
歌人集団 かばんの会 かばんWEB
「短歌は翻訳と似ている」と前にも言いましたが、自分の知覚したものを正確に出力するには、やはりそれにふさわしい語彙、リズム、単語のならび、切り取り方があるはずです。
とても良い情景を切り取っていらっしゃるのに単語や語順で希求力が薄いな、リズムが崩れてもったいないな、客観性にとぼしいな、という歌がいくつかありました。
57577に慣れてきたらぜひ上記を意識しながら、あなたの伝えたいことにぴったりの一首を目指してみてください。それには先達のいい短歌を読みながら分解していくのもいい練習ですね。
枕詞「茜さす」について
今回の枕詞「茜さす」は「日」「紫」「照」「君」などにかかる短歌の言葉です。
枕詞そのものがわからない、という方のために簡単に説明しますと、枕詞とは「この単語が出てきたら続きには必ずこれらの語句がセットでついてきますよー」というルールの単語です。
現代でいえば「ぬるぽ」「ガッ」/「ダンソン!」「フィーザキー!」/「「じゅんで~~す!」「長作で~~す!」「三波春夫でございます」みたいな感じです。
枕詞そのものに深い意味はなく、そのワードが出てくると読んだ人は「ああこれこれについて詠む歌なんだな」と最初にわかる、という仕組みです。
6月のお題募集です
次回お題発表 6月1日(月)0:00 です。
またお題を提供していただけるととても助かります。
がんばって10回ご参加いただくと題詠短歌を100首詠んだことになります。皆さんそれぞれが100首目にはどんな情景を詠んでいらっしゃるのかなと思うと、いまからとても楽しみです。
小難しいこと言っちゃいましたがみなさんまずは100首めざしてゆるゆる楽しんでいきましょう。
題詠マラソン2015、短編小説の集いのべらっくすも読んでます